金曜の夜に風邪を引く

決まりきらない想像の旅

告白

夏目漱石が「月が綺麗ですね」と答えた例の質問には、自分であれば「私、弱いんですよ」と答える。

大事な人だけが知っていて欲しい秘密。公衆の面前にそれを晒す事は、破廉恥でしかない。

じゃあ今ここに書くのはどうなんだと言われたら、一般論だと返すしかないけれど。

語られない言葉

昔、大勢に向けて言葉を語る事は、それを職業とする人のみに限られる事がほとんどだった。何でもない人の、普段から生まれる何でもない思いは、口頭以外で多くの誰かに知られる事は無いのかとずっと思っていた。

インターネットが普及して、それはインターネットにアクセス可能な全ての人に可能な作業になった。その結果生まれたのは、職業を担保とする責任を持たない、言葉の混沌だった。それでもまだ、SNSスマートフォンの両方が普及するまでは、その混沌がまとまった形で目に入る事は、今ほどは無かった。

SNSで、毎日のように誰かが誰かを賞賛し、誰かが誰かを罵る。そこにいる人の感情そのものが娯楽と化して、以前漠然と考えていた、何でもない人の何でもない思いに常に触れられるようになった。それを素敵だとも酷いとも思わないけれど、環境に恵まれた結果混沌とする世界と、環境に恵まれる人が少ないために大きな混沌の起きない世界とでは、どちらが構成員の幸せの総量が大きいのかとは思う。

短く切り取られた言葉の束が見せる、辟易する程の量の感情は、切り取られるが故に、それに多く触れる客観性を持たない者の物の見方を近視眼化させて、また辟易する程の量の感情の一部になる。その一部にすらならない、語られない言葉の方が、余程語られる価値がある場合は少なくない気がする。

人が好ましげな未知のものに夢を持つのは、それが言語化されず、理解出来た気にいい意味でなれないからなのかもしれない。切り落とされた言葉の先を少しでも予測出来るのなら、今よりも感情が揺らされる事は無いのかもしれないと思う。

装飾品としての外国語

先日twitterで、友人から回って来たツイートに、「その人が作っている替え歌の一部のフレーズで、元歌が英語の部分を、違う意味の英語のフレーズにしたい」と言うものがあった。

面白かったのだけれど、1フレーズに詰めたい意味が多過ぎる上に、訳語の音節が多過ぎるのに代替する語もなく、しかも音にハマりそうになかった。詰めたい意味のどれかを行間送りにしようと考えていたのだけれど、和製英語の略語で、その音節の多い訳語をさっくりカット出来るものを見つけた。

翻訳の仕事であれば、外国人が読む英語でまず通じない和製英語は選ばない。しかし状況的に、日本人しか読まない英語で、しかもその和製英語の略語は、それ以外の言葉を使うと一気に意味の通りが悪くなってしまう程度には普遍的に使われているものだった。

その略語を採用した所、元歌の響きを残したい箇所も、自分が使いたかった表現も収める事が出来て、かつリクエストにもほぼ合ったフレーズを作る事が出来た。翻訳者として、和製英語を使わざるを得なかった悔しさはあるものの、ツイートのお遊びとは言え、作詞家としては非常に満足だった。

以前、ある著名な通訳者が、華原朋美の歌の歌詞の文法的な誤りを指摘していた事がある。"Hate tell a lie"という歌についてで、恐らく「嘘をつくのは嫌」と言うフレーズをそのまま直訳したものだと思われるが、これは動詞が文頭に来るから命令形で、しかしそう仮定したとしても文型がおかしいので、無理矢理解釈するならばHateの後にコンマを入れて「憎め、嘘をつけ」になるというもので、訳としては非常に正しい指摘だったものの、歌詞と言う観点からすると若干の違和感が残った。

歌詞には、意味と言葉の正しさを捨てても、その場にその言葉がある事が全体を飾る「装飾品」としての外国語が必要な場合があるんだろう。それは元の外国語に対して不誠実であっても、全体を締め、外国語が持つ「ニュアンスまではつかめない、感覚としての意味の分からなさ」が行間を作る。

全ての表現手段の有り様に対して誠実で、かつ自分の表現したい事柄を詰めるのはとても難しくて、そこには必ず取捨選択が必要になる。よしんば全てが成立したとしても、それは受け取り手が入り込む余地のない窮屈なものになってしまうのかもしれない。そこで決めた優先順位が全体を洗練させ、捨てたものの上に選んだものが輝くのだろう。優先順位は、作ったものがどんな状況に置かれるかによって決まり、作り手の好みに依ってしまった時点で独りよがりになる。

翻訳は、同じ色の絵の具を違う素材に塗り込める作業で、作詞は出来るだけ少ない色の点で全体を表現する作業だと思っている。中々両方を並行させる事が出来ないのだけれど、両方のつくりをもっと知る事で、より簡単に切り替えが出来るようにな気がした。

数年前、飼い猫が悪性腫瘍を患い、2ヶ月程で虹の橋を渡ってしまった。短い闘病期間だったけれど、あれ程一つの事に真剣に向き合った時間は、今までの人生でそう多くは無かった。人生のパートナーに等しかった猫で、ペットロスが怖くて防衛のためにそれ系の資料を読み漁った位だったけれど、案外3日位で喪失の苦しみは消えた。勿論、悲しみは今でも消えないけれど。

それから3週間しないうちに次に飼う猫が決まり、1ヶ月後には実際に飼い始めた。自分の変わり身の速さに自分でも引く位なんですよね、と担当の獣医先生に伝えた所、次のような言葉が返って来た。

「闘病をやり切った人程、切り替えが早いんですよ。闘病期間中に迷う事が多かった人は、ペットが亡くなってからも迷い続ける事が多いです。」

出来る事なら、私の命を削っても良いとまで思っていた。それまで、大人は結果でのみ救われるとしか思っていなかったから、心が洗われるようだった。過程に於いて真剣さの純度が高い程、結果と心の救済との相関は弱くなるような気がした。

未練とは、真剣さの隙間に入り込む闇なのかもしれない。挑戦に結果が伴わなかったとしても、真剣であったならば心は強くなり、次の挑戦のための土台になる。正しさの証明は結果でしか出来ないのかもしれないし、方向が適切でなければ、努力は徒労に変わる。それでも、その二つを伴うという仮定の上では、挑戦が求める心の救済は、結果を必要としなくなるんだろう。

お釈迦様も、昔のローマの偉い人も、要約すると「今が大事」だと言っていた。デジタルな選択の連続が、アナログを作る。未練の連続が後悔にならないように今を選び取って行けるなら、未来も過去もそう気に病まなくても良いのかもしれない。

マッチポンプの感傷

何らかの大事なものが消えてしまう時に、もし自分にその原因があったとして、消えてしまう前に原因に気づいていたのに何もしないままその消失を惜しむなら、それはマッチポンプの感傷でしかないといつも思う。

ましてや、その消失を恐れて行動しかつ忠告していた人がいた時には、「だから言ったじゃないか」としか思えない。

どんなものでも、行動と言葉の両方を駆使して初めて大事に出来る。前者のみならば気付かれなくても抗議は出来ない覚悟が必要となり、後者のみなら何の中身も無い。失わないと大事さに気付けなかったのなら、己が愚かだったか、それ程大事なものでも無かったかだ。

自分が関わる全ての物事の帰結の捉え方(原因そのものではない)は、たとえどんな不条理が存在しても、基本的に自分に責任がある。そう思えないと、己の苦しみは永遠に他者の気紛れに操作される。

自己憐憫は、覚悟と不条理を伴ってこそ美しい。石を投げたい程の無責任な感傷でも、それはその人の物だ。でもそれは、失うまいとして努力した者の無念と、どちらが大きいのか。比べる物では無いと分かっていても、憤りと共に後者を想う。

本能を超えるもの

もう長い友達に子供が出来たそうで、ギリギリな年齢にある私は正直羨ましくて仕方ないけれど、遺伝的な事情もあって諦めてもいる。

最初聞いた時は泣くほど喜んで、それでも、変わって行かないで、という複雑な気持ちもあり、でもそれは、喜んでいない訳ではなかった。単に勝手に自己投影して、事実を頭で混同しているだけだった。何故私は素直に喜べないの?などと言う、安い自虐に酔える時期はとうの昔に過ぎたのに、まだ幼い頃に簡単に自分を救ってくれたそれを、どうしても思い出す。

当たり前の事を無意識に喜べる精神性は、神様がくれた宝物なんだろうと思う。でも感情に濃淡があるからこそ、人間なんだという気がする。

社会が認める形で本能に沿って動ける事は、世間からの風当たりを少なくする事とほぼ同義だけれど、本能に逆らって尚安定していられる強い自我を持てるなら、それで事は済むんだろう。でも、常態的に自己の再定義が必要となる、あくまで台風の目でしかないその自我には、結局必死にしがみつく必要がある。

他者や所属が与える自己同一性を放棄しておきながらそれに焦がれるのは、それがあった場合の幸せと、それが無い場合との不幸せとをアンフェアに比べるからだろう。比較の無い状態で自己の有り様を認めていないからそうなるとも言える。

本能に逆らって年月が過ぎた時に、私は嫉妬に押し潰されて化け物になるのが怖いという話を、以前その友達にした事がある。それを自覚してるんならならないでしょうと言われたけれど、狂えてしまった方が楽な場面もきっとある。

それでも理性を抱えて生きようと思えるのは、その友達と自分が大事であるからに他ならない。表面上では濃淡を陽に塗り潰し、裏にある陰の濃淡を全て認めて、その両方を抱えた状態を認識したその上で、何でもないように振る舞う。12色の色鉛筆で事足りるような感情しか無かった頃よりかは、生きる事がもしかしたら面白いのかもしれないし、克服出来た時の喜びも大きいのかもしれない。

喜びも怒りも、哀しみも楽しみも一緒に経験して来た。妊娠したと聞いた時、おめでとうのすぐ後に、「子供産んでも友達で居てね」と思わず言ってしまった私に、「変わる訳ないでしょう」と言ってくれた友達を、これからも大事にしたいと思う。

境界線を覆う雲

以前、行きつけのバーで「人生で一度で良いから、『音楽性の違い』で解散してみたいよね」と言う話になった。実際に死ぬ程悩んでそうした人には怒られそうな話だが、そこにいた全員バンド結成の経験は無く、ただそのフレーズを口にしてみたいだけだった。

結局は男女間で言う所の「価値観の違い」で、バンドなんて集団で恋愛しているようなものなのだろうけれど、何かを選んで生きて行く限り、身を以って体験出来ない世界は無数にある。

そんな事を思っていたら、現役でバンドを組んでいる同居人が、昔のバンドメンバーと再会したらしく、「人生で一度は『再結成』をやってみたい」と言っていて、心底羨ましくなった。

結局は男女間で言う所の「復縁」なのだろうけれど、恋愛とは違うであろう微妙なその違いを、自分が体感する事は恐らくこれからも無い。

近くにありながら、内には存在し得ない無数の世界がある。色んなものを色んな人と共有していると思えていても、自分の何らかの部品と少しだけ似ているだけで、基本的には違う世界に生きているのかもしれない。

この世の地獄のような事件が実際に起こる中で、それでも生きている世界を愛すると言う事は、そこにある同一性と、曖昧な境界線とを同時に見出すと言う事なんだろう。当事者にはなれなくても、想像と感情をそこに置く。どこまでも無責任にも完全な責任者にもなれないから、せめてその曖昧さに責任を取れたら良いなと思う。