金曜の夜に風邪を引く

決まりきらない想像の旅

約束の重荷

とある悩みの解消のために、カウンセリングに通っている。仕事中暇な時に先生に見せるためのノートを書いてそのままにしていたら、隣の席の人が「◯◯さんが長い時間覗き込んでたよ」と教えてくれた。もちろん私が悪いのだけれど、背筋が寒くなって、職場を辞める事が頭をよぎった。それ程、コアな個人情報が書いてあるものだった。

教えてくれたのは新しく職場に入った方で、何故かウマがあって色んな事を喋ってしまう。なんだかそこに書いてあった事を秘密にしてしまったようで、喋ろうかとも思ったけれど、告白のような重い吐露になる気がした。大事にしたいからこそ、言わない方が良いんだろうなと考えて止めた。

私の大事な部分を晒したんだから、裏切らないでね。人格の生々しさを晒して仲良くなる事は、脅迫にも似る。ポロっとこぼしてカラッと締める事が出来れば別だけど、この場合私にはそれは出来なかった。秘密で繋がる関係は、約束を強制し続ける事になるが故に、余程の関係性が育った後でないと重荷になる。

こんな時、昔の知人が言っていた事をいつも思い出す。「大人の関係性に名前がつくのは、しばらく時間が経ってから。」そういえば今仲の良い友達も、最初はネットの知り合いだった。子供のそれは名前から始まるかもしれないけれど、大人の付き合いには距離が伴う。相手に対して自分を重くし過ぎないのは、大人のマナーなんだろう。

教えてくれた人は同じ業界だから、狭い世間、きっとこれから長い付き合いになる。何年も経ってから、あの時こんな事があったわね、って話が出来たら良いなと思う。ただ今は、心臓の裏がザラザラするような気持ち悪さを我慢してそれで、自分の過失に責任を取る事にする。

初老のその方は、ご自分の割と重い話をポロっと教えてくれて、カラカラ笑っていた。人生の重さを軽くあしらえるには、それに立ち向かった年季が必要なんだろう。重い約束なんか要らない、楽しく過ごしましょうね。そう軽く思えたら良いなと、心から思う。

左目に映る星

幼い頃に得た強烈な共感を拠り所に孤独と共存していた主人公が、それを大事にしつつも、やがて人との違いを楽しみ、むしろそれに恋するようになっていくお話、に私には見えた。

孤独は理解されてしまうと、むしろ深まってしまうのかもしれないといつも思っている。それを認めてもらいつつも、過剰には共感されず、それぞれがそれぞれでありながらも一緒にいられる事が、ある程度成熟した大人の関係性であるような気がする。誤解も理解だと言っていた人がいたけれど、逆に言えば、共感は誤解の幸せな一致だ。それを否定した主人公の過去の恋人とは、別れて然るべきだったのかもしれない。

最後に主人公が閉じたのは両方の目で、片目では無かった。片目を閉じる事で守っていた心が、誰かとの共存で守られるようになるのなら、それは幸せな事なんだろうか。孤独も、片目を閉じる癖も消えないのかもしれない。でも、共感だけを拠り所にしていた頃よりも、世界を彩る色が増えていれば良いなと思う。

孤独の代償

母方の祖母が亡くなった。以前このブログで、もう多分亡くなるまで会えないと書いた記憶のあるその祖母だったけれど、遺体にすら会えなかった。

以前、私の母親とその姉である伯母対末っ子の叔父、のような構図で仲違いがあったのだけれど、叔父はその腹いせに、統合失調症になって入院した祖母の意思を代弁するかのように「かーちゃんはお前らとは会いたくないそうだ」と言い張り、大企業勤めが故の財力を奮って勝手に病院を移り病院で母達が会えないよう口止めまでし、そして亡くなった後お骨にするまでの作業を、全て1人でやってしまったそうだ。

母達が会えたのは既にお骨になった祖母で、母は叔父をこっぴどく叱り、納骨には呼ぶよう念を押したらしいのだけれど、恐らくそれも無く、最悪の場合お墓の場所すら知らされない可能性がある。

明るくて優しい祖母で、齢80にして彼氏が出来ていた。お相手はやはり配偶者に先立たれた年下の男性で、頰を赤らめながら電話で話す祖母を見て、私の方が気恥ずかしくなってその場を離れた事もあったくらいの仲睦まじさだった。

一度祖母に「一緒に住まないの?」と聞いたら、「離れてる方が良い関係になれる事もあるのよ」と返って来て、この時程、恋愛って深い、と思った事は無い。

祖母の意思があったかどうかすら確かめようが無いのだから、精神衛生上こちらの都合の良いように思うしかない。手間とお金を2人でかけて来た伯母と母は、お金だけの叔父に負けた。伯母は母に、私にもっと財力があったら、もっと違ったんだろうかと聞き、母はそらそうだろうねと即答したらしい。話はズレるが、姉妹とは時に残酷なまでにあからさまな関係になるといつも思う。

少し変わった性格で、自分の家族も友達も居なかった叔父は、祖母を姉弟間の代理戦争の道具にしてしまい、誰にも看取らせず、誰にも葬らせず、たった1人でお骨にまでしてしまった。意思の無くなった個体がモノを思うはずはなく、それを可哀想だと思うのは生者の感情でしかないけれど、それでも祖母の孤独が胸に刺さって、取ろうとしてもびくともしない。

もう遠い昔に、母の知人と叔父との縁談話があった。先方は叔父を気に入っていたのだけれども、文字にするのすら憚られるような瑣末な理由で、それは成立しなかった。母親に、「今の結果だけを見ると、彼女は結婚しなくてよかったね」と言ったら、「結婚しなかったからああなったのかもしれない、少しずつ長い時間をかけて変われたかも」と返って来た。

独りの自由が孤独と隣り合わせなら、誰かと居る不自由は、孤独では無い事と隣り合わせなんだろう。なんとなく、大人になってからは性格改善は難しいと今まで思って来たけれど、強制的に誰かと何かをすり合わせなければいけない経験は、性格を少しずつ丸くして行くのかもしれない。それを人生の過程で欠落させてしまった叔父は、元々の少し変わった性格と相まって、自分を内側に守る方向に心を固めて行ったのかもしれない。それが祖母の最期の孤独にまで結び付いたのなら、最期まで祖母は叔父を守って逝った事になるんだろうか。お金が心細かった祖母と、独りが心細かった叔父。2人の利害は悲しくも合致し、こんな最期を迎えて然るべき方向にしか生きられなかったのかもしれない。

人付き合いとは、面倒臭さを取る喜びか、孤独を取る自由かの二択だといつも思っている。私は、孤独にはなり切れない。だから上手くはないながらも、周りに居てくれる限られた人を大事にして行きたい。母親は、所謂悲しみの五段階で言う所の、最終段階の受容にまで行き着いているようで、「あの人は可哀想な人なんだよ」と何度も言っていた。

祖母を亡くして一番堪えているのは間違いなく叔父で、これからの孤独が少しでも、柔らかな着地を迎えられるようにと願わざるを得ない。もう恐らく、それこそ生きている内には会えないだろうけれど、変わっていてもそれなりに好きな叔父だったからこそそう思う。

La Venus 訳詞

SONGSであまりに感動したので、訳詞を書いてみた。

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La Venus

ねえ見て 薔薇の生き抜く様を
雨の中に立ち 花達と共に咲き誇る
息をして いつもその呼吸に 僕の愛を
世界があなたを 壊していい理由などない

僕ら在る限り あなたを愛し続ける
2人ここから天国へと旅立つまで
僕ら在る限り あなたが切り裂く薔薇になろう
だから泣かないで
ここが僕らの世界の果て

あなたは言う 全ては嘘だと
壊れ行くものだと
夜の色があなたの真心を隠す

あなたの痛みを飲み干すよ
血管に流れる苦しみを
ここから見るのは夜明けなのだから
心の真実のままでいて、女神よ

僕ら在る限り あなたを愛し続ける
2人ここから天国へと旅立つまで
僕ら在る限り あなたが切り裂く薔薇になろう
だから泣かないで
ここが僕らの世界の果て

全ては嘘で 全ては壊れ行く
変わらぬままではいられない
でも覚えていて 僕の愛を
(あなたのためにここにいることを)

僕ら在る限り あなたを愛し続ける
2人ここから天国へと旅立つまで
僕ら在る限り あなたが切り裂く薔薇になろう
だから泣かないで
ここが僕らの世界の果て

ねえ見て 薔薇の生き抜く様を
雨の中に立ち 花達と共に咲き誇る
息をして いつもその呼吸に 僕の愛を
今夜世界があなたを 奪っていい理由などない

 

現実の中の夢

先日、通訳者になった。正確に言うと、派遣会社と結ぶ派遣契約書の契約業務の欄が、通訳のみになった。実際の業務の中では翻訳もやるのだけれど、その欄が通訳のみになったのは初めてだった。通訳・翻訳と書かれていた頃は通訳者と名乗って良いのか分からないというか、まだ半端者で名乗れない気分が何となくあったのだけど、ようやく名乗っても怒られない気がした。

まだ10歳前後の頃、笑って良いともに出演していた外国人の後ろにいた通訳者の方を見て、「自分はあの人と同じ仕事をするんだ」と何となく思ってから数十年、ここまで来るのに随分長かったと思う。

今の職場に来て以来、通訳学校で聞いた先生方の完全無欠なパフォーマンスには程遠い破れかぶれのそれながら、人と人との間に入って役に立てる事の喜びを噛み締めている。

大体午前2時間午後2時間、休む間も無く連続でコキ使われ、1日の終わりには脳のリソースがギリギリになるのを感じながら、それなりの充実感がある。ただ、勉強する事は山積みで、常に知識を得て仕事に還元しているにも関わらず、時々はこいつ使えねーな的な顔をあからさまにされる。英語が分かると言うだけで、話者の言う事全てが分かるだろうと思われてしまうのは良くある話で、日本語だって分からない話はあるのにと思いつつ、その時の精一杯の範囲で仕事をする。

小さい頃夢見た通訳者は、魔法の様に全てが理解できる人で、何の努力をしなくてもそこにいられる存在だった。なって初めて分かるのは、思っていた程キラキラなんてしていないし、泥臭い努力をして初めてそこに居られる事、そしてそこに居続けなければ通訳者とは呼ばれないと言う事。当たり前だけれど、一瞬それに「成る」だけならばそこまで難しくはなく、それであり「続ける」事が本当に難しいんだと身体で感じている。

それでも、これを選んだのだからこれ以外無い。本当に何かを成す人の対象への想いは淡々としているといつも思っていたけれど、淡々としなければ続けられない程、続けるという事には労力が要るのかもしれない。

明日も人の間に入って、淡々と訳す日が来る。でも選んだ明日が来るだけ、本当に幸せなんだと思う。現実の中にある夢がいつまでも続くように、明日も努力と言う代償を払う。

正義はお手軽ではない 追記

係員の方が110番し警察の方が来るまでの間、被害女性と少し話をした。これから起こり得る可能性について、年若い方だったので知らないかもしれないと思い、私がそれを言う権利は無かったのかもしれないけれど、老婆心ながら伝えた。

示談も告訴も両方あり得る、告訴は犯人の人生を終了させかねないし、示談にすればお金がもらえる可能性もあるから、とても怖かっただろうし、悔しいかもしれないけれど、そこはどうするかよく考えて、と言った所、何も答えずにただ頷いていた。

とても大人しそうな可愛らしい方で、被害に遭ってしまうのも仕方ない雰囲気の方だったのだけれど、結果的に犯人は逮捕されたのだから、告訴を選んだと言う事になる。その強さが意外だったけれど、そうして当然な事に間違いは無かった。

以前同類の犯罪で、人が捕まる所を第三者として目撃した事がある。取り押さえた人は係員に意気揚々と、その人の普段を存じ上げないにも関わらず意気揚々としているようにしか見えない程意気揚々と、犯人について目撃した事を係員に伝えていた。逃げようとする犯人を恫喝していて、オイオイそれは係員の役目だろ、と野次馬ながらに思った(野次馬と言うよりは、犯人が逃げないように道を塞ぐ手伝いをしていたのだけど)。その経験があったから今回、自分の中で正義感より義務感が大きくなったのは間違いない。

人の生殺与奪権を握った時、人はどれだけ残酷になれるのだろうと思う。その人間の心理から来る悲劇を題材にしたのがesと言う映画で、立場と環境は人格までも変えてしまう事を伝えていた。だからそれを行使する時、そこに私情を混ぜず極力事実のみに判断を委ねる事、そこから浮かび上がる不正があって初めて人は公平に裁かれる事を改めて学んだ気がする。

もちろん彼女は訴えて然るべき人で、そうする事に何の咎も無い。ただ、私も含めて人1人を裁いた重さは存在する。罪悪感は無いが重みは感じる。彼女がどうかはもう分からないが、私は折りに触れこの重さを思い出すんだろう。

ちなみに目撃だけした方の犯人は見た目が本当にヨレヨレで同情すらしてしまいかねない風体だったのだけれど、後日同じ場所であからさまに不審な動きをしているのを見かけて、どうしようもない人は逮捕された所でどうしようもなさが抜ける訳では無いんだと情けなくなった。件のおじいちゃん警察官が、この手の犯罪は再犯率高いんですよ、逮捕されたされない関係なくねと言っていたので、私が逮捕した人が再犯しない事だけは是非お願いしたい。この重さが、無駄な脱力に変わって欲しくはない。偶然にも上司と同じ苗字だったので忘れようが無いのだけど、フルネームを覚えてないのは救いだ。その後を知る由も無いのは、ある意味幸せなんだと思う。

才能は悲しみと共に

何らかの創作を嗜む人で、才能のある人を無邪気に羨む人の無邪気さが苦手だ。以前も書いた記憶があるが、自称シンガーソングライターの昔の知人が「創作の源になる悲しみを持った人がずっと羨ましかったけれど、そんなもの無い方が良いんだと思った」と言うような趣旨の事を言っていたのを聞いて、その人の作るものが微妙な理由を垣間見た気がした。

先天的な才能も、後天的な才能もどちらもあって、前者は律するのに高潔な人格を必要とし、後者は何らかの悲劇的な経験があるが故にそうなっていると思う。前者の例は玉置浩二や飛鳥で、後者のそれは秋元康YOSHIKIがあてはまると考える。

玉置浩二はあれだけの才能を律するのに、献身的な奥様と時間の経過が必要だったし、飛鳥は才能に負けて精神的に還らぬ人となってしまったに等しい。秋元康は東大に入り官僚になる夢が叶わず「今の生活はドロップアウト」だと明言しているし、YOSHIKIは早くに父親が自殺した。

多くの富と名声を得たけれど、内に怪物を飼うか、または何かを失ってまで欲しいものだったかと思うと、必ずしもそうではない気がする。ただ、悲しみを得たからには代償が欲しい。答えを探した道程が創作物に変わったのならば、だからこそ説得力を持つように思う。

才能は、憧れている間が一番幸せなんだろう。得た後の苦悩も、得るまでの悲しみも、望んで背負わされはしない。ただ一旦背負わされてしまったならば、そこにあるものを活かして生きる事も出来る、ただそれだけの話だ。

才能を得てしまった人々が、その上で幸せだと言えて欲しい。そういう人々の悲しみを目の当たりにする度に、望んだ訳では無い才能が、彼らに幸せをもたらす事を願う。