金曜の夜に風邪を引く

決まりきらない想像の旅

孤独の代償

母方の祖母が亡くなった。以前このブログで、もう多分亡くなるまで会えないと書いた記憶のあるその祖母だったけれど、遺体にすら会えなかった。

以前、私の母親とその姉である伯母対末っ子の叔父、のような構図で仲違いがあったのだけれど、叔父はその腹いせに、統合失調症になって入院した祖母の意思を代弁するかのように「かーちゃんはお前らとは会いたくないそうだ」と言い張り、大企業勤めが故の財力を奮って勝手に病院を移り病院で母達が会えないよう口止めまでし、そして亡くなった後お骨にするまでの作業を、全て1人でやってしまったそうだ。

母達が会えたのは既にお骨になった祖母で、母は叔父をこっぴどく叱り、納骨には呼ぶよう念を押したらしいのだけれど、恐らくそれも無く、最悪の場合お墓の場所すら知らされない可能性がある。

明るくて優しい祖母で、齢80にして彼氏が出来ていた。お相手はやはり配偶者に先立たれた年下の男性で、頰を赤らめながら電話で話す祖母を見て、私の方が気恥ずかしくなってその場を離れた事もあったくらいの仲睦まじさだった。

一度祖母に「一緒に住まないの?」と聞いたら、「離れてる方が良い関係になれる事もあるのよ」と返って来て、この時程、恋愛って深い、と思った事は無い。

祖母の意思があったかどうかすら確かめようが無いのだから、精神衛生上こちらの都合の良いように思うしかない。手間とお金を2人でかけて来た伯母と母は、お金だけの叔父に負けた。伯母は母に、私にもっと財力があったら、もっと違ったんだろうかと聞き、母はそらそうだろうねと即答したらしい。話はズレるが、姉妹とは時に残酷なまでにあからさまな関係になるといつも思う。

少し変わった性格で、自分の家族も友達も居なかった叔父は、祖母を姉弟間の代理戦争の道具にしてしまい、誰にも看取らせず、誰にも葬らせず、たった1人でお骨にまでしてしまった。意思の無くなった個体がモノを思うはずはなく、それを可哀想だと思うのは生者の感情でしかないけれど、それでも祖母の孤独が胸に刺さって、取ろうとしてもびくともしない。

もう遠い昔に、母の知人と叔父との縁談話があった。先方は叔父を気に入っていたのだけれども、文字にするのすら憚られるような瑣末な理由で、それは成立しなかった。母親に、「今の結果だけを見ると、彼女は結婚しなくてよかったね」と言ったら、「結婚しなかったからああなったのかもしれない、少しずつ長い時間をかけて変われたかも」と返って来た。

独りの自由が孤独と隣り合わせなら、誰かと居る不自由は、孤独では無い事と隣り合わせなんだろう。なんとなく、大人になってからは性格改善は難しいと今まで思って来たけれど、強制的に誰かと何かをすり合わせなければいけない経験は、性格を少しずつ丸くして行くのかもしれない。それを人生の過程で欠落させてしまった叔父は、元々の少し変わった性格と相まって、自分を内側に守る方向に心を固めて行ったのかもしれない。それが祖母の最期の孤独にまで結び付いたのなら、最期まで祖母は叔父を守って逝った事になるんだろうか。お金が心細かった祖母と、独りが心細かった叔父。2人の利害は悲しくも合致し、こんな最期を迎えて然るべき方向にしか生きられなかったのかもしれない。

人付き合いとは、面倒臭さを取る喜びか、孤独を取る自由かの二択だといつも思っている。私は、孤独にはなり切れない。だから上手くはないながらも、周りに居てくれる限られた人を大事にして行きたい。母親は、所謂悲しみの五段階で言う所の、最終段階の受容にまで行き着いているようで、「あの人は可哀想な人なんだよ」と何度も言っていた。

祖母を亡くして一番堪えているのは間違いなく叔父で、これからの孤独が少しでも、柔らかな着地を迎えられるようにと願わざるを得ない。もう恐らく、それこそ生きている内には会えないだろうけれど、変わっていてもそれなりに好きな叔父だったからこそそう思う。