金曜の夜に風邪を引く

決まりきらない想像の旅

人間万事塞翁が馬

ある言葉を、別の言葉に置き換えて文書を作成したり、コミニュケーションの仲立ちをしたりする仕事をしている。最初はある国の言葉と書いて、日本語はそれに当てはまっても、英語は違うと気付いた。まあ、それは良いとして。

自分は大して本を読んだ経験が無くて、読んでも物語よりはノンフィクションや実学系のものが多かった。映画も4桁本観ている訳でもないので、副業で作詞家だと一応名乗っている割には、インプットしている物語は数は同業他者より恐らくはるかに少ない。

大して本を読まずとも、文章を書く仕事を生業とする事が良くできたなと自分で思ったのだけれど、よくよく思い出してみると、人生でとても集中して本を読んだ時期があった。小学校低学年の昼休み、ベランダで遊ぶ同級生を横目に見ながら、いつも一人で図書館にこもっていた。

まんが日本の歴史と、エジプトのミイラを作る過程を書いた本が大好きで、何度も何度も繰り返し読んだ。吾輩は猫であるを読んだのもあの頃だった。どこで生まれたのか見当がつかぬと言う文章に、そりゃあんた猫だしな、と心でツッコミを入れる程度には冷めていた。

そして中学で英語に出会って、主語の後にすぐ述語が来る言葉の明快さに取り憑かれた。常に本質をオブラートに包む日本語の良さは、未熟な頭では理解が出来ず、またコミニュケーションに於いては混乱を生む元凶だった。英語で話をする時は、余計な裏を考えて、怯える必要が無かった。覚えた事を英文にしてネイティヴの先生に話すと、よく出来るね!と褒められた。最初は小さな塊だった承認欲求の充足が、いつか人生そのものになった。そこで取り憑かれる事が出来たのは、図書館で積み上げた日本語と、英語とを比べる事が出来たからなんだろう。

森三中大島美幸さんが、いじめられた経験をバネにして、お笑い芸人として大成するために努力した、と言う話を聞いた事がある。そう言えば友人が通っているダンス教室の先生も、やはりいじめられて、それが悔しくてダンサーとして頑張って食べて行けるようになった、と友人が語っていた。その抑圧こそが人生に財産をもたらし、抑圧に生かされている。

自分が子供の頃昼休みに一人でいたのは、本を読んでいれば仲間が居なくても許される気がしたからだった。弱い者を排除するとか、ストレスのはけ口としてのいじめを受けていたのではなく、集団に交わるのが面倒な生来の性格故に、自分から殻に入り込んでいただけだった。それでも、友達と仲良くしましょうと言う、団体の統制を容易にするための同調圧力に抗う状態は、抑圧を生むには十分だった。

痛みを殊更に美化するのは好きではないけれど、それがあったから今があるのは間違いない。

人間万事塞翁が馬、本当に良い言葉だと思う。物事の流れを決めつけない。痛みを肯定しても否定しても地縛霊化し、いつまでも心にこびり付く。それがあったから何かを得られたのは間違いないけれど、それが無かったら得られた何かもあるはずで、それは見えないから今を肯定するしかないだけの話だ。

抑圧こそが無形の財産を生んだと言う皮肉を抱えて生きる。そうなったんだから、それしかない。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ今を分量通りに受け止めていたいといつも思う。

悪意

誰かから何らかの不利益を被る時、理由が純粋な悪意に依る場合は思ったより多くはなく、ただの想像力の欠如だったり、その人の弱さだったりに起因する事の方が多い。

それでも悪意に依っていると思いたがるのは、悪意の存在が明確な理由はなくとも強い説得力を持つからで、そこで思考停止出来るからなんだろう。

縁の寿命が切れてしまった、かつての友人の事を思い出す機会があった。遅い疑似恋愛を舞台俳優に見出し、公演の度に上京し私を含む知人の家を転々とし、ただひたすら、都会に住む人が羨ましいと毎日のように呪詛を吐いている人だった。

羨ましさの裏返しか、関東に住む自分は随分と皮肉を言われていたけれど、学生時代からの彼女を知っていたから、遅い疑似恋愛でもその存在自体が嬉しかった。そういう柔らかい感情を否定し続けていた人だったから、例え疑似恋愛でも、男は女を変えるものだと感心していた。

でも、その疑似恋愛が深化するにつれ、羨ましさは募り、彼女が目指して入れなかった大学が関東にある事もあって、昔の彼女の不甲斐なさを含めて八つ当たりされるようになった。いくら原因が分かっているとは言え、純度の高い悪意に取れてしまう感情の継続的な発露は、私の情の蓄積を枯渇させるには十分だった。

悪意とは、相手の存在そのものを否定し消そうとする本能の発露だと、感覚で捉えてしまうものなんだろう。積み重なれば、感情は理性の言う事を聞かなくなる。最終的に、行動を決めるのは感情でしかない。

自分に起こる事で自分に原因が無い事は多くはないから、そこまで深化させてしまったのは、自分にも原因はあったのだろう。攻撃を止めてくれと伝えた事はあったけれど、その時言われた事への抗議で、継続的な行為へのそれでは無かった。それがあったら、まだ関係は続いていたのかもしれない。それなりに大事な、永いはずの友人だった。

何らかの負の感情の発露が、ただの悪意に見えないようにとはいつも気をつけている。言語化を重ねて理由を分解すれば、感覚の部分は小さくなる。これからも誰かに憎しみを感じない事はあり得ないけれど、それがただの悪意に変わる前に、必要な努力はしたいと思う。

◯◯デビュー

とある人に間接的に迷惑をかけられているが、その人をこちらから知っているのみで、直接モノ申す事は出来ない、と言う特殊な状況が続いていた。

しかしいよいよ我慢の限界を超えかけ、直接対決を考え、直接知っている人に相談した所、「あの人、あそこに入ってデビューしちゃったんだよね。ああなってるのはそのせい。」と聞いた。その瞬間、驚く程怒りがしぼんで小さくなってしまった。

◯◯デビュー。◯◯以前の不遇さと、◯◯以後の客観性の欠落とを同時に表す俗語。

理解は寛容を生むと常々思っているけれど、何も事態は変わっていないのに、情報一つでここまで感情が変化した事に驚いた。誰かを可哀想だと感じるのはマウンティングの極みかもしれないけれど、私の小さくなってしまった怒りが、そこにある夢のような熱を一気に冷ましかねないと思うと、怒りを持つ事自体が罪のような気すらして来た。

その迷惑行為自体も、周りからは見えにくいものの終息しつつあるとの事で、結局私はその人にとって知らない人のままになっている。

不利益を被っている怒りを、ある程度の理解も無いままに、無条件に正当だとするのは止めようと改めて思った。勧善懲悪に押し込めない方が幸せな物事は、多分いくらだってある。近い未来に冷める事が予想されるその熱が、どうかソフトランディングしますように。それまでに、その人に本物の熱が宿りますように。傲慢にも、どうしてもそう思えてならない。

別離の形

母方の実家が大分で、先日の大地震で被害の出た地域にあり、祖母が一人で住んでいる。母に様子を聞いてみた所、「連絡してないから分からない」と返って来た。

詳細は省くが、彼女には連絡を取らないだけの理由がある。しかし流石に、こんな時まで連絡しないとは思っていなかった。

学生の頃、年に3回は大分に遊びに行っていた。祖母が必ず作ってくれた酒粕のあんまんが、とても美味しかった。でも、母の頭越しに祖母に会う事も状況的にできず、恐らくもう、生きているうちに会う事はない。

こんな風に、大事だった人との別れが、縁の切れ目による心の別離なのと、肉体の死による身体の別離なのと、どちらが悲しいんだろうといつも思う。比べる質のものでない事を理解はしていても、心がその人の形の場所そのものを失うのと、その人の形の穴が開いてしまうのと、同じ人を2度失わなければ違いは分からない。

母の苦しみを母程は理解出来ないし、私の喪失感はそれを超えない。だから、和解しようよなんて自己満足な事は言えない。ただ何らかのきっかけで、その機会が巡って来る事を祈る位は許されるのかなと思う。

笑点司会の歌丸師匠が勇退し、新司会に春風亭昇太師匠が就任する事が発表された日曜日、流れていたツイート。感心し過ぎて日曜日中唸っていた。夢が一本、現実が一本。