金曜の夜に風邪を引く

決まりきらない想像の旅

正しさの分かれ道

先日会社で、パソコンにログインする際に使うワンタイムパスワード発行機を紛失した方がいた。自分が持っている常識からするとこれはとてもとても大事なもので、まず紛失などはあり得ず、万が一起こってしまうと多方面に多大な迷惑をかけてしまうという代物である。

一悶着はあったものの、正規の手続きを踏んで再発行がされるまで、その紛失した方とパソコンを使い回すように、との指示が上司から出た。これも自分が持っている常識からすればIDとパスワードの使い回しと言うコンプライアンス違反で、指示した人よりも実際にやった人の方が罪に問われる。ただ上司の言う事なので逆らえない、と言う二律背反の状況で考えた結果、その紛失した方にパスワード発行機の不要なパソコンがある別の拠点で働いてもらうのはどうか、と上司に提案した上で、使い回しの算段を立てていた同僚に、自分はそれには加わらない、と勝手ながら告げた(要は、遠回しに逆らった事になる)。

結局の所、その方は別拠点で働く事になり、自分達はコンプライアンス違反から逃れられた。別の同僚にこの話をしたところ、そんな事(使い回し)しちゃいかんよね、と即座に返って来たのだけれど、この「上司から言われたから特に疑わずに言われた通りにする」ことと、「事実は事実としてダメな場合にはダメと判断して行動する」ことには、どんな差があるんだろうと思う。ただの知識の有無だけでなく、知らない事に対して倫理的判断を下す時に、結果的に間違わない何か。常に自分の頭で考えているかどうかという事なんだろうか。判断力の差、と片付けてしまうのは何も生まない気がする。

そんな場面で、基本的に間違いを起こさない人は一定数居る。やはり、生まれ持って場合によっては鍛錬して来た判断力の差に由来すると考えるしか無いのか。それを鍛える方法を知りたい、今の自分には分からない。