金曜の夜に風邪を引く

決まりきらない想像の旅

正義はお手軽ではない 追記

係員の方が110番し警察の方が来るまでの間、被害女性と少し話をした。これから起こり得る可能性について、年若い方だったので知らないかもしれないと思い、私がそれを言う権利は無かったのかもしれないけれど、老婆心ながら伝えた。

示談も告訴も両方あり得る、告訴は犯人の人生を終了させかねないし、示談にすればお金がもらえる可能性もあるから、とても怖かっただろうし、悔しいかもしれないけれど、そこはどうするかよく考えて、と言った所、何も答えずにただ頷いていた。

とても大人しそうな可愛らしい方で、被害に遭ってしまうのも仕方ない雰囲気の方だったのだけれど、結果的に犯人は逮捕されたのだから、告訴を選んだと言う事になる。その強さが意外だったけれど、そうして当然な事に間違いは無かった。

以前同類の犯罪で、人が捕まる所を第三者として目撃した事がある。取り押さえた人は係員に意気揚々と、その人の普段を存じ上げないにも関わらず意気揚々としているようにしか見えない程意気揚々と、犯人について目撃した事を係員に伝えていた。逃げようとする犯人を恫喝していて、オイオイそれは係員の役目だろ、と野次馬ながらに思った(野次馬と言うよりは、犯人が逃げないように道を塞ぐ手伝いをしていたのだけど)。その経験があったから今回、自分の中で正義感より義務感が大きくなったのは間違いない。

人の生殺与奪権を握った時、人はどれだけ残酷になれるのだろうと思う。その人間の心理から来る悲劇を題材にしたのがesと言う映画で、立場と環境は人格までも変えてしまう事を伝えていた。だからそれを行使する時、そこに私情を混ぜず極力事実のみに判断を委ねる事、そこから浮かび上がる不正があって初めて人は公平に裁かれる事を改めて学んだ気がする。

もちろん彼女は訴えて然るべき人で、そうする事に何の咎も無い。ただ、私も含めて人1人を裁いた重さは存在する。罪悪感は無いが重みは感じる。彼女がどうかはもう分からないが、私は折りに触れこの重さを思い出すんだろう。

ちなみに目撃だけした方の犯人は見た目が本当にヨレヨレで同情すらしてしまいかねない風体だったのだけれど、後日同じ場所であからさまに不審な動きをしているのを見かけて、どうしようもない人は逮捕された所でどうしようもなさが抜ける訳では無いんだと情けなくなった。件のおじいちゃん警察官が、この手の犯罪は再犯率高いんですよ、逮捕されたされない関係なくねと言っていたので、私が逮捕した人が再犯しない事だけは是非お願いしたい。この重さが、無駄な脱力に変わって欲しくはない。偶然にも上司と同じ苗字だったので忘れようが無いのだけど、フルネームを覚えてないのは救いだ。その後を知る由も無いのは、ある意味幸せなんだと思う。